生きられた超人

─長嶋茂雄

 

「千の目標が、従来あったわけだ。千の民族があったから。ただその千の頸を結びつけるくびきだけが、いまだにない。一つの目標がない。人類はまだ目標を持っていない。だが、どうだろう、わが兄弟よ、人類にまだ目標がないのなら−−人類そのものもまだなりたっていないというものではなかろうか?」

ニーチェ『ツァラトゥストゥラ』

「人類ではなく、超人こそ目標である」。

ニーチェ『権力への意志』

 

 ジョン・デューイは、『経験としての芸術』(一九三四)において、「人間の経験における芸術の源泉は、野球のプレーヤーのピンと張りつめた優美さが見ている群衆をいかにして感染させるのかということを知る人によって学びとられるであろう」と語っている。デューイのこの言葉は、芸術に感動することと野球のプレーヤーの姿に興奮することが根源において同じなのだということを示している。だが、ここでデューイが「野球のプレーヤーのピンと張りつめた優美さ」と言っていることに注意しなければならない。デューイが野球に対する感動が芸術に連なると述べているのは、個々の「プレーヤー」に関わることであって、ゲームの進行や勝敗に関わるものではない。また、「ピンと張りつめた優美さ」は、野球において何かが達成された瞬間ではなく、何かが行われている過程にこそ芸術の源泉につながるものがあるということを意味している。デューイのこの主張は、野球というスポーツの特徴をよく表わしているのではなかろうか?

 野球はスポーツの中で最も動きを欠いたものの一つであるように思われる。試合の中で主に動いているのはピッチャーだけで、外野手においては試合の全イニングスに出ながらも、一度も生きたボールを手にしないことすらある。野球はボクシングやレスリングといった格闘技の持つ肉感的迫力にはかなわないし、作戦を楽しむということに関しては、アメリカン・フットボールに及ばない。また、サッカーやラグビー、アイスホッケー、バスケットボールの持つスリリングさは野球にはない。エキサイティングなスピード感を持たないことにかけては、野球はすべてのスポーツの中でも一、二を争う。

 毎年、日本国内ではペナント・レースが一チームあたり一三五試合の割合で行われているが、個々のプレーはまだしも、その中で後々に語られるにたるゲームはほとんどない。多くの試合は、悪しき意味で、凡庸で、中には退屈極まるのさえある。個性のない同じようなプレーヤーやチームが、感動のない同じようなゲームを展開している。プロ野球は繰り返ししかないニヒリズムの極限にある。野球がおもしろいとか、つまらなくなったとか、おもしろくしなければならないとかという言説が巷に蔓延することからも、それは確かであろう。野球が無条件におもしろいならば、別な座標軸から語られるはずであり、そんな議論など生まれるわけがない。

 にもかかわらず、野球が、世界的には一部の地域であるとしても、ここまで人を魅きつけてきた事実もまたある。だとすれば、野球の魅力は他のスポーツとはまったく別な部分にあるように思われる。

 野球には他のスポーツにはない奇妙な側面が多い。守備側にある投手の行為によってゲームが始まるということも、すなわち攻撃側は受け身だということも特異である。また、グラウンドの広さが一定しておらず、各球場によってまちまちで、東京ドームのように、ローカル・ルールの設定されているところすらある。他のスポーツでこういうことはありえない。ルールの共通性が要求されるからである。プレーする場所の条件が異なるのはゴルフくらいなものだが、ゴルフの場合は中心として設定されたグリーンに向かうのが目的であり、周辺はその中心を明確にするために存在している以上、不明瞭であればあるほどよい。他方、野球においては、フェンス部分が無限に向かって開かれていると同時にフィールドとして閉じられているという形で、外部と内部の区別が曖昧である。

 そもそも野球の起源がいかがわしい。野球発祥の地としてクーパーズタウンに野球殿堂が建てられているが、実は、野球はバスケットボールのような完全にアメリカに起源を持つスポーツではない。野球はラウンダースというイギリスのボールゲームに起源を持ち、ベースボールという名称もラウンダースのある地方での呼び名であって、アメリカに輸入された後でルールが整理されたにすぎないのである。

 その公認野球規則に「1・02(試合の目的)各チームは、相手より多くの得点を記録して、勝つことを目的とする」という条項がある。ルールで「勝つことを目的とする」と規定しているスポーツは野球以外にない。「勝つことを目的とする」という条項を規定しなければならないのは、野球が勝利とは別の次元で、すなわち本来的に個人技のレヴェルで機能しているからである。野球では個人タイトル争いのため、例えば、打率を下げないために試合を欠場するとか、打たれないために敬遠攻めにするとかという形で公然とヤラセが行われている。最も酷いケースは、一九八二年のセ・リーグの優勝がかかった最終戦、同僚の欠場した長崎に首位打者をとらせるため、ホエールズの投手陣は彼を猛追するドラゴンズの田尾を連続五打席敬遠攻めにした結果、田尾の全打席出塁のおかげで、ホエールズは破れ、ドラゴンズが優勝し、ジャイアンツはペナントを逃すことになってしまった。 野球は、個人記録が権威を持っているように、団体スポーツの中で個人技が最も脚光を浴びるスポーツなのである。半世紀も前の「人間機関車」ウォルター・ジョンソンの記録が「ライアン特急」ノーラン・ライアンのそれと同列に比較されている。陸上競技や水泳といったスポーツでは、連勝記録やメダルまたはタイトルの獲得数という記録は通用するとしても、スピードや高さ、重量、距離といった記録が時代を超えて通用することなどありえない。どんなにエミール・ザトペックが速くても、彼が現在のどのマラソン大会に出ても優勝することはできないだろうし、また彼の当時の記録が現在のわれわれを魅了することもないのだ。吉目木晴彦は『記録の見方−幻の盗塁王ビリー・ハミルトン』で「野球の面白さのひとつに、過去の記録と現在の記録を単純に比較できるということがある」が、それと同時に、「個人の記録の単純な比較だけでなく、もう一つの記録から推しはかる、プレイヤーの歴史的価値という楽しみ方もある」と述べている。記録とはどんなスポーツにおいても古典になる。陸上競技において、古典とはそれが表示する世界が古びたことを意味するが、他方、野球では、古典とは「その可能性の中心」(ヴァレリー)を表示するものにほかならない。つまり、野球は記録が生き残っていくスポーツなのである。

 陸上競技や水泳などを除くスポーツにおいて、記録は必ずしも重要視されてはいない。スポーツは個々のゲームこそがすべてなのであり、ゲームから離れて、記録は熱く語られることは少なく、プレーヤーの価値はゲームで判断される。他方、野球では個々のプレーヤーやチームは記録によって評価される。野球で記録が権威を持っていることは、記録が整備されているということそれ自体によって、推し量れよう。記録と記憶という二項対立そのものが記録からの派生物にすぎないのである。野球が誕生した当初から、記録は重要だった。現行のルールの原形が確立されたのは、アメリカン・リーグとナショナル・リーグの二大リーグ制が始まった二十世紀に入ってからで、十九世紀においては、ルールがどういうものだったかすらもはっきりしていない。また、一九二九年まで公認されていたスピット・ボーラーや七三年以降認められた指名打者が存在していることからも、記録が基づくそのルールの共通性は必ずしも問題にされているわけでもない。記録が整備されたのは、もっぱら個人の力によるところが大きい。盗塁はタイ・カッブやホーナス・ワーグナーによって、本塁打はベーブ・ルースによって、記録として整備されたのである。野球では、そうした過去の記録との闘いの中、現在が存在し得る。野球のゲームは過去の記録を想起することによってつくられた記憶に基づいて見られているのである。従って、野球は継続性によって、ファンを魅了するが、逆に、ファンがマニアックになればなるほど、眼前のプレーから価値を読みとれなくなってしまう。

 記録がはばをきかせるのは、野球の歴史がジグザグであったこととも関連している。最初、野球は点をとりあうスポーツだったが、変化球の登場とともに、いかに相手に点をやらないかという形となり、野球は作戦を楽しむものとなった。当時はスピット・ボールが合法化されていたことから、現在の変化球以上に大きく鋭い変化球が投げられていた。しかし、スピット・ボールが禁止され、少し後に、飛ぶボールの使用が決定に及び、ホームランが生まれるようになった(1)。野球は「本塁打狂時代」を迎え、ホームランが野球の華になったのである。そして、現在ではそのホームランを防ぐため新たに変化球が盛んな時代へとなってきている。野球は内野手のフォーメーション・プレーなどでは確かに進歩してきたが、投げる=打つという始源的な関係においては、誕生した頃からそれほど変わってはいない。ルールも現在まで必ずしも完全に共通ではなかったが、しかし完全に相違しているわけでもなかった。その曖昧さのために野球において記録が生き残っていく側面もある。記録は厳密な何ものかを伝えるためではなく、その時代の雰囲気として残っていくのである。それゆえ、アンダースローや左右のグリッブの間を離すバッティング・フォームといったアメリカにおいては忘れられてしまったものが、アメリカ以上に変化球が盛んな日本で現れてくるということもある。野球の歴史とは変化球盛衰の歴史と言うことができよう。つまり、変化球が投げるものにとっていつまでたっても自分の思うようにならないように、野球の歴史も偶然によって左右されてきたのである。

 選手や監督からの抗議が野球ほど寛容されているスポーツも珍しい。サッカーやラグビーでは抗議など非紳士的な行為として完全に禁止されている。アメリカ大リーグの名物審判で、アメリカン・フットボールのプロのプレーヤーから野球の審判に転身した経歴を持っているロン・ルチアーノは、『アンパイアの逆襲』において、「野球以外のスポーツ、例えばフットボールの世界では、審判員はいついかなる場合でも敬意を払われている」と言い、審判生活を始めたばかりの頃、野球における審判員の立場に戸惑い、野球において審判員は選手や監督たちにとって「敵」なのだと告げている。テニスでマッケンローが審判に悪態をついているのが話題となったが、野球ではそんなことは日常茶飯事であり、あの程度のことでクローズアップされることはまずない。審判に砂をかけることで有名だった故ビリー・マーチンがテニス・プレーヤーになったなら、彼はコートに入ることすら許してもらえないだろう。審判員が、逆説的に、野球そのものを盛り上げてきたことも認められる。日本でも、二出川延明や露崎元弥といった名物審判も誕生してきた。野球は審判員が最も脚光を浴び、審判の判定がゲームやシリーズの勝利といったものに影響を与えるスポーツであり、審判員の判定をめぐる忘れられないシーンも少なくない−−一九六一年十月二九日ジャイアンツ=ホークスの日本シリーズ第四戦(於後楽園球場)での円城寺球審とジョー・スタンカの「円城寺、あれがボールか、秋の空」と詠まれた運命の一球、一九六九年十月三〇日ジャイアンツ=ブレーブスの日本シリーズ第四戦(於後楽園球場)での土井と岡村の本塁クロスプレーについての岡田球審の判定、一九七八年十月二二日のスワローズ=ブレーブスの日本利治シリーズ第七戦(於後楽園球場)での大杉勝男のホームランをめぐる富沢レフト線審に対する上田監督の一時間十九分の抗議。他のスポーツでこれほどまでに判定をめぐって後々まで語られることは見あたらない。選手や監督らと審判員との激しい口論もまた野球の魅力でもある。

 

The devil challenged God to a baseball game. "How can you win, Satan?" asked God. "All the famous ballplayers are up here", "How can I lose?" answered Satan. "All the umpires are down here".

 (“The Heavenly Baseball Game”)

 

 要するに、野球とは基本的に隙間のスポーツである。その隙間を選手だけでなく監督やコーチそして審判員までもが補わなければならない。見るものがその隙間を補い、想像力を膨らませることに野球の魅力の一端がある。

 野球は最も言葉を要求するスホーツである以上、野球には禁欲主義的な精神論が入り込みやすい。奴隷道徳的な甲子園大会の試合前にホーム・プレートをはさんで礼をしたり、丸坊主にするという僧侶的なねじまがった権力意識をおしつけたり、「一球入魂」という病的でデカダンスなスローガンをかかげたり、無を欲するニヒリズム的に「野球道」を説くことによって何かしらの奥義を極めると広言したり、野球によって人生を語るというメロドラマを素朴に描いてみせたりすることがあとをたたない。

 その過剰な言葉をかき消すために、ある一人のプレーヤーが現われた。

 それが長嶋茂雄である。

 長嶋が現役生活を引退したのは一九七四年であり、監督を最初に解任されたのは一九八〇年のことである。そして、九二年秋に長嶋は監督に復帰した。

 長嶋以前に野球があったにもかかわらず、野球について考える時、われわれが長嶋を思い起こすのはなぜだろうか? 長嶋、それは何だろうか? 長嶋、それは誰だろうか? 一九五八年にプロ入りと同時に、いきなり本塁打王と打点王の二冠を獲得し、新人王となり、その十七年間の現役生活で、MVP五回、首位打者六回、打点王五回、本塁打王二回に輝いたプレーヤー、それが長嶋だろうか? 試合二一八六、打数八〇九四、安打二四七一本、本塁打四四四本、打点一五二二、四死球一〇一二、三振七二九、打率三割五厘という生涯成績を残したプレーヤー、それが長嶋だろうか? 三塁から一塁に戻る際に二塁を踏まないという三角ベース事件を三度も起こし、前のランナーを追い越してアウトになり、四回も敬遠に怒りバットを捨ててボックスに立ち、敬遠のくそボールに飛びついて二度もヒットにし、ホームランを打ったのにベースを踏み忘れてとり消されたプレーヤー、それが長嶋だろうか? あるいは十四年間で、最下位一回、五位一回、四位一回、三位四回、二位二回、リーグ優勝五回、日本一二回の成績をおさめた監督、それが長嶋だろうか? 何かに感動すると、それが言語化される前に陶酔しきってしまい、感動していることは確かに理解できるのだが、何を伝えたいのかわからないことを言い、自分の息子を球場に忘れていった男、それが長嶋だろうか? 長嶋がそれだけの男だったならば、野球のことに思いをめぐらすとき、われわれは特別の感慨をもって長嶋を想起することなどないだろう。野球を考えるとき何よりも先に長嶋の名が浮かぶのは、長嶋が野球を根底から変えた、すなわち善い=悪いという座標軸から楽しい=楽しくないという座標軸に野球の光学を変えたからである(2)。長嶋は、一九一一年に東京朝日新聞が行った「野球害毒論」というキャンペーンに起源を持つ善い=悪いという座標軸で論じられてきた野球を、根底から変換したのである(3)。換言するならば、善い=悪いという評価を具現していた「神様」川上哲治の後に現れた長嶋は、言葉を必要とする野球というスポーツにおいて、「善悪の彼岸」を目指したニーチェの超人思想を体現したプレーヤーだった。つまり、彼は生きられた超人なのである。長嶋は頭のてっぺんから出てくるようなカン高い声で、人に絶えず話しかけ、人を喜ばせ、何ごとにも楽しさをつねに残していた。長嶋はわれわれに眉間の縦皺ではなく、哄笑することを教えてくれた。野球に関する現在の言説のほとんどが、長嶋が提示した野球の問いをめぐって論じられている。長嶋は過去的であると同時につねに現在的なのである。われわれは長嶋によって先取られた地点にあることを認めなければならない。それゆえ、今われわれが、それもプラグマティックな文によって、長嶋とは何かを問う必要があるのは、その地点にわれわれが依然としてあるからにほかならないのである。

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